本当の贅沢とは何か?労働の代償としての贅沢って幸せな生き方?

2020/12/21

ライフスタイル

 


「今年の休暇にはヨーロッパで贅沢旅行をしたいから、残業を増やして少しでもお金を貯めておこう」

「寝る間も惜しんで働いている自分のご褒美に美食を続けていたら太ってしまった。それで、高級ジムに入会したんだ」


こんな人、あなたの周りにもいませんか?人の価値観や贅沢の方法は千差万別ですから、とやかくいうつもりはありませんし、お金がある人が散財するのは別に悪いことではないですが、贅沢のために自分の自由を犠牲にして忙しく働くってほんとうに幸せな生き方なんでしょうか?


この記事では、世間で言われる贅沢って自由を犠牲にしてまで得る価値のあるものなのか、そもそも本当の贅沢って何なのか、僕シロの独自の視点から考えてみたいと思います。


この記事は3分で読めます。




贅沢のために忙しく働くのは幸せな生き方か?本当の贅沢とは?



日本では、これからは人生100年と言われていますが、活動的に自分のやりたいことができる年齢と考えれば、せいぜい70歳代まででしょう。65歳が定年とすると、長くて15年間ですね。うがった言い方をすれば、人はこの老後の15年間の自由を得るために人生の40数年間を時間に縛られた労働に費やしているとも言えます。


この40数年間を長いとみるか短いとみるかは人それぞれです。ですが、人が成人してから活動的に過ごせる60年間の2/3以上という時間を会社のために捧げるというのは、一度しかない人生のうえで僕には耐えきれないほど長いものに思えました。


朝の6時に起きて東京まで2時間の通勤、2時間3時間の残業をこなして帰宅は夜の10時、平日に自分に与えられた自由な時間はせいぜい2時間。仕事に費やす時間は通勤を入れれば16時間です。それを40年以上続けると考えると気が遠くなる思いがしました。


自分がやっている仕事が好きでたまらないという人ならストレスも溜まらないでしょうが、多くの勤労者は仕事のストレスを抱えて毎日を過ごしているのが現状です。そのストレスを発散させるために、キビシイ労働で稼いだお金を少ない休みの間に旅行に使ったり、そんな時間も気力もない人ならグルメや買い物、飲み代などに費やすのではないでしょうか。


旅行やグルメ、買い物が悪いと言っているのではありません。しかし、明らかに自分の収入や生活レベルを超えた贅沢、たとえば、自分の給与の数カ月分を超えるような高級腕時計や高級バック、アクセサリーを買ったり、高級ホテルとグルメ料理がセットになった数日間の旅行に何十万円も費やしたり、貸しアパートに暮らしながらも週末にはBMWに乗っていたりする人がいたりしますが、これって本当の贅沢なのでしょうか。


何度も言いますが、お金のある人が自分の贅沢にお金を使うのは悪いことではありません。富裕層が消費することで経済が回ってくれれば、それは国民全体にとっての利益にもなるからです。


しかし、ストレスが溜まるほどの労働と自由な時間を犠牲にすることの報酬が、ごくたまにできる物質的な贅沢や殿様級サービスを受けることって、人生の浪費に思えませんか?たしかに、「夏の旅行があるから今を我慢して仕事が続けられる」、「人気の高級腕時計を買う目的があるから頑張って働く」というのは労働という今の苦痛を凌ぐためのなぐさめにはなるでしょう。仕事のモチベーションといえばポジティブな印象を受けますが、馬の鼻の前に吊るされたニンジンとも言えます。


でも、そういった贅沢はほんとうに自分が望んでいるものなのでしょうか。


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造られた贅沢を追い求めていないか?



僕が子どもの頃、家庭にカラーテレビ、洗濯機、冷蔵庫、ステレオ機器があることは幸せな家庭の条件のひとつとされていました。外国からはウサギ小屋と揶揄された小さな家屋でも、マイホームをもつことは人生の大きな目標のひとつで、そのために父親たちはがむしゃらに働きました。団地に住むのでさえ、家に風呂が付いているのは大きな贅沢のひとつだったのです。


日本の高度成長期の話ですが、求めるモノは変わっても今でもこの構図は変わっていません。新しい商品とサービスは次から次へと市場にだされて、それがさも価値のあるのもだと思わせる巧妙な宣伝手法は、一般市民の購買意欲を掻き立てます。しかし、それらはほんとうに自分の人生の時間を差し出してまで手に入れなければならないものなのでしょうか?


もちろん、なかには生活を効率化して自分の時間を増やしてくれるものもあります(洗濯機や掃除機、パソコンなど)が、機能は変わらないのに無用に高価なものもあります(高級腕時計、高級バックやブランド品、宝飾品、高級車など)。もし、そういった実質的な価値を生みださない贅沢品やサービスを身の回りから排除して、その分を投資に回していたら?数年後には、もう残業や副業をせずともすむ生活ができるかもしれません(会社が許せばですが)。場合によっては、貯蓄を増やしてセミリタイアする道が開けるかもしれません。


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若い頃に贅沢して思ったこと



まだ僕が会社員として勤めていた頃、海外の事業の一部を会社に任されていた僕は一年のほとんどを海外出張や駐在に費やしていました。20代の若造が、外に出れば一応は会社を代表するレプレゼンタティブであり、海外取引先と対等に商談する必要があったので、肩書も部長クラスでした。成田空港につけば、エアラインのマネージャーがわざわざ挨拶に現れ、専用ラウンジへ案内され、搭乗機に乗り込めば、頼みもしないのにファーストクラスにアップグレードされていました。


到着地につけば、取引先の担当者と専属運転手が空港で待っていて、ホテルに直行します。ホテルでは一人には無用に広いスイートルームが用意され、ホテルのレストランではいくら高級料理を頼んでもサインするだけ、そして翌日からは取引先の接待で高級レストランや高級バー巡りです。移動は会社手配のボディーガードつき専属車です。そんなことが飛行機で降り立つ土地どちで10年続きました。


ほとんど日本にいられない忙しさで、自分のお金を使う間もなく、給与やボーナス、駐在手当は手つかずのまま日本の口座に貯まっていきました。海外での急な業務用出費のために2枚のゴールドクレカをもち(当時、僕の年齢ではゴールドが最高ランクでした)、上限も月300万円まで。現金も東京での通勤時でさえ、毎日意味もなく30万円は持ち歩いていました。


独身でお金の使い道もなく、ロンドンでは高級デパートで高級品を買いあさったり、東京に戻れば、一晩で数十万を散在するなどしていました。バブルの時代のことです。


そして、会社を辞める頃に感じたことがあります。「自分は何かのまやかしの中で生きている」ようであり、自分の人生が何かのショーのように思えてきたのです。そして、「土日も返上して一年中激務に耐えているその見返りがこのまやかしの贅沢なのか」ということでした。





キャビアもトリュフもフォアグラも高級寿司も美味しいですが、海外で食べたいと思ったのは卵かけご飯や納豆ご飯でしたし、スイートルームの屋根付きキングサイズベッドよりも、畳の上のふとんのほうが寝心地はよかったですし、高級スーツに身を包んでロンドンの高級デパートで買い物をするより、ジャージを着て近所のスーパーへ母親と買い物に行くほうが、よほど楽しかったのです


他の人はいざ知らず、僕にとっての贅沢や幸せっていうのは、そんなところにあるのだと思いました。そして、そんな時間をたっぷり持てるのが本当の贅沢なのではないかと思うようになったのです。2万円の高級和牛ステーキコースはたしかに美味しいですが、吉野家の牛丼の50倍の幸せを感じるかと言ったら、それほどでもないでしょう。


本当の贅沢とは企業が仕掛ける流行やコマーシャルが私たちに押し付けるものではなく、お金が必要なものでもないのかもしれません。




浪費することで感じる見せかけの贅沢



新築のマンション物件を物色していた時期がありました。バブルの頃ですから、さほど大きくもない物件でも4,500万円ほどしました。頭金を多く支払えば20年ほどで完済できる感じでしたので、周りの同僚がマンションを買っているのにつられて、かなり本気になって考えていたのです。


20代の独身で実家からでも会社に通えるというのに、そんなことはさして深く考えることもなく、ひとつの男のステータス程度に思っていたのでしょう。高級腕時計を買うような感覚です。結局は日本に数カ月しかいないのに、空き家同然で不動産を保持しつつローンを払い続けるのは馬鹿らしいとおもい、購入は取りやめました。


そのあと、バブルがはじけました。あのときマンションを購入していたら、値下がりで売ることもできず、ローンを払い続けるために会社を辞めることもできなかったはずです。そして、今の僕もなかったでしょう。今思えば、あれも浪費することで見せかけの贅沢を感じようとしていたのかも知れません。


心身くたくたになるほど働き、その稼いだお金を浪費することでストレスを発散させる。今となっては、考えれば考えるほど矛盾した人間の行動に思えてきます。後になって、こんな言葉を目にしました。


「一番不可解なのは人間だ。お金を稼ぐために自分の健康を犠牲にし、のちに、その健康を取り戻すためにお金を犠牲にする。将来に不安を抱くがために、今を楽しむことができず、ゆえに現在に生きず未来にも生きられない。決して死なない者のごとく生きて、決して生きたことがなかった者のごとく死んでゆく」、これはダライラマの言葉と言われていますが、真偽のほどは僕には分かりません。


しかし、誰が語った言葉であろうと、僕にはまさに現代社会の矛盾を指摘したするどい言葉だと感じます。私たちが忘れてしまいがちで、いつか気づいたときにはすでに手遅れとなっている人生においての巨大な真実をついた名言だとおもいます。


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自由を犠牲にした贅沢と自由を保ちつつ得る選択的贅沢



私たちには自分の人生のどの段階であれ選択する権利があります。消費経済に貢献するために、心身ともにくたびれ切るほど働いて、稼いだお金で物質的な贅沢を買うか、もしくは、自分にとって本当に何が必要で、何が大切で、何が必要でないかを一度立ち止まって熟考し、取捨選択して生活をスマートにするか。


僕の時代に若者たちが最初に憧れたのは自分の車をもつことでした。遊びのためには必須のアイテムだったのです。しかし、最近の若者たちには車はそれほど魅力的ではないようです。高い買い物の上に、いざ買ってしまえば維持費もかかるし、動かせばガソリン代や高速代、駐車料金がかかります。地方ならまだしも、都市部ならバスや地下鉄がありますし、近くなら自転車がありますし遠出するなら電車の方がよほど気楽です。どうしても必要な時にはレンタカーやカーシェアリングがあります。


定職につかずに、必要な時にフリーランスで働き、海外の国々を転々と渡り歩くノマドの若者たちも増えています。今の若者たちは僕の時代と比べて、とても合理的な考え方をもっています。また、インターネットやスマホのおかげで必要な情報を誰でもその場で入手できるようになり、そういったテクノロジーのおかげでノマドの生活が気軽にできる環境が整ったのだともいえます。海外には日本のように洗練されたサービスはないかもしれませんが、ゆっくり流れる時間という贅沢があります。これは新しい贅沢の求め方です。


日本でも田舎や過疎地で古民家を買い、農業を始めたり、自給自足の生活に挑戦したり、リモートで仕事をしながら自然を満喫する生き方を選ぶ人が増えています。そこには高級レストランもブランド品もありませんが、自然や静けさという贅沢があります


なんとなく周りに流されて同じように生きるのではなく、自分の価値観から独自のライフスタイルを見出して実践する若者たちが増えてきたのは、日本も生き方の面でようやく成熟したきたということでしょうか。


以前、ニュージーランドで仕事をしていたときに驚いたのは、ふつうのサラリーマンがクルーザーを所有していることでした。仕事はピッタリ定時で終わらせて、近くのハーバーに係留してあるクルーザーに夕食の食材を持ち込み、家族や友達たちと沖合に出て釣りをしたり、夕食を作って食べたりして楽しんでいました。それも平日の話です。ニュージーランドでは夏場は夜の10時まで日が落ちないので、平日でも5時間ほどはそうやって楽しむ時間があるわけです。日本ならサラリーマンが新橋の焼き鳥屋で一杯ひっかけている時間に、彼らは海でフィッシングを楽しんでいるのです。国によっても贅沢のあり方はさまざまです。彼らにとってそういった遊びのない仕事オンリーの生活などあり得ないのです。


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まとめ:自由と本当の贅沢はいつでもそこにある



ここまで、本当の贅沢とは何か?忙しく働いて得た金で買う贅沢は幸せな生き方か?ということについて自分勝手に述べてきました。あなたが、「今の仕事に生きがいをもって働いている。仕事が楽しいくてしようがない」というなら、それは素晴らしいことです。僕から言うことは何もありません。


しかし、もしあなたが仕事で疲れ切っていて、それを乗り切るために物質的な贅沢に頼っているのなら、あのダライラマの言葉のように、あなたは人生の悪循環に陥っているのかも知れません。一度今の生活を総点検して、贅沢のために自分を消耗させていないか、もしそうなら生き方を最適化してみてはどうでしょう?必要なら転職を考えたり、生活スタイルを変えることを検討するのもいいかも知れません。


私たちの自由と本当の贅沢はいつでもそこにあります。小鳥のさえずりを聞きながら一杯の紅茶を飲む贅沢、自分で栽培した野菜で作ったカレーを友達と一緒に味わう贅沢、気が向いたときに浜辺に行って潮騒を聞きながら裸足で砂の上を歩く贅沢、趣味にいくらでも打ち込める時間のある贅沢など、本当の贅沢は人それぞれですし、必ずしもお金がかかるものでもありません。国によっては、毎日食べられるのが贅沢、夜に安心して眠れるのが贅沢なところもあるでしょう。


ただ、人はあまりに忙しかったり、疲れ切っていたりすると、自分にとっての本当の贅沢が何なのか、自由とは何なのかが見えにくくなってしまいます。そんなときには、ちょっとだけ立ち止まって今の自分を見つめ直してみることをおすすめします。


今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。








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